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教会学校
現在の教会学校は、2025年5月より、小学2年生2名のお子さんが初聖体をうけるための勉強をきっかけとして始まりました。基本的に第1・第3日曜日のミサ後に信徒会館2階を教室として行っています。 小さい頃から教会への親しみを感じ、神様からの教えや恵みを身近なものとして、一人ひとりの子どもが“優しさ”や”思いやり“”全てのものへの感謝“の気持ちを培っていくこと、そしてそれが信仰教育の一助となることを目的としています。指導は、マリアの宣教者フランシスコ修道会のシスターを中心に、他6名の信徒がリーダーとなって行っています。小学生は、シスターから聖書のお話を聞いたり初聖体・堅信等の勉強をします。また、1歳~幼稚園児の子どもたちは、リーダー達による紙芝居や絵本の読み聞かせ、歌等を通して神様や聖書について学んでいます。 教会学校では楽しく和やかな雰囲気づくりを大切にし、子どもたちが興味をもってワクワクしながら神様の教えを自然に学んでいけるよう工夫しています。ギターやオルガンに合わせて歌や手遊びを楽しんだり工作を取り入れたり、時には保護者の方
2026年9月20日 年間第25主日
A年 年間第25主日 みことばのメッセージ 今日の第一朗読で、預言者イザヤは非常に印象的な言葉を語っています。 「わたしの思いは、あなたたちの思いとは異なり、あなたたちの道は、わたしの道とは異なる。」この言葉が、今日の福音を理解するための鍵になります。 福音では、ぶどう園の主人が、朝早くから何度も広場へ出て行き、働く人々を雇います。朝から働いた人、九時から働いた人、正午から、午後三時から、そして夕方五時になってようやく雇われた人もいました。ところが夕方、主人は全員に同じ一デナリオンを支払います。 すると朝から働いていた人たちは不平を言います。 「最後に来たこの人たちは一時間しか働かなかったのに、一日中、暑さの中で働いた私たちと同じ扱いをするのですか。」 私たちにも、その気持ちはよく分かります。普通に考えれば、確かに不公平に見えます。 しかし、このたとえは賃金制度について教えているのではありません。イエスが語っておられるのは、神の国、そして神の恵みについてです。主人は最初の人たちに約束した一デナリオンをきちんと支払っています。ですから、彼らが
2026年9月13日 年間第24主日
A年・年間第24主日 今日の典礼を貫いている一つの言葉があります。それは「ゆるし」です。 第一朗読のシラ書は言います。「隣人の不正をゆるせ。そうすれば、あなたが祈るとき、あなたの罪もゆるされる。」答唱詩編では、「主はあなたの罪をことごとくゆるし、私たちの罪に応じてあしらわれることはない」と歌います。 そして福音の最後でイエスは、「あなたがた一人一人が、心から兄弟をゆるさないなら、天の父もあなたがたに同じようになさる」と言われます。 さらに私たちは毎日のように、主の祈りの中で、「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」と祈っています。 つまり今日、聖書が私たちに問いかけているのは、とてもはっきりしています。私たちは、神からゆるされている者として、人をゆるしているだろうか、ということです。 第一朗読のシラ書は、紀元前二世紀ごろに書かれた知恵文学です。そこには、非常に現実的な人間理解があります。人に対する恨みや怒りを心に抱えながら、神に向かって「私をゆるしてください」と祈る。そのこと自体に矛盾がある、とシラ書は言うのです。恨みとい
2026年9月6日 年間第23主日
A年年間第23主日 みことばのメッセージ 今日の教会は、福音を現代の世界に伝えることの難しさを感じています。 多くの人々は、福音を正面から拒んでいるわけではありません。しかし、さまざまな情報や関心、安心や快適さを求める生活の中で、福音の声が埋もれてしまっています。そのため教会は、「新しい福音宣教」、すなわちキリスト教的な生き方を改めて築き直す必要を語っています。 しかし、福音によって変わらなければならないのは、教会の外にいる人々だけではありません。教会共同体そのものも、絶えず回心する必要があります。 教会の中にも、疲れや諦めがあります。健全な多様性がある一方で、互いを排除する派閥意識も生まれます。未来へ進もうとする人と、過去へ戻ろうとする人との間に、対立が起こることもあります。 教会は、弱さや罪から免れた、完全な人々の集まりではありません。罪は人と人との関係を壊し、共同体に分裂をもたらします。 今日の福音で、イエスはこの分裂を癒やすための具体的な治療法を示されます。それが「兄弟的矯正」です。 イエスは言われます。「兄弟が罪を犯したなら、行って、二
2026年8月30日 年間第22主日
A年 第22主日 みことばのメッセージ 今日の福音で、イエスは初めてご自分の受難を弟子たちに予告されます。 その直前、ペトロはイエスに向かって、 「あなたはメシア、生ける神の子です」と、すばらしい信仰告白をしました。しかし、そのイエスが、エルサレムで苦しみを受け、殺されると語られると、ペトロはそれを受け入れることができません。ペトロはイエスを脇へ連れて行き、いさめます。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」 ペトロが望んでいたのは、栄光に満ちたメシアでした。人々に認められ、敵に勝利し、力をもって神の国を実現するメシアです。しかしイエスが示されたのは、屈辱を受け、苦しみ、命をささげるメシアの道でした。ペトロは、イエスの栄光は望みましたが、その栄光に至る十字架の道は受け入れることができなかったのです。 そこでイエスは、ペトロに厳しく言われます。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」 なぜ、愛する弟子に対してこれほど厳しい言葉を言われたのでしょうか。それは、ペトロの言葉が、イエスを神の御心
26. 感謝の祭儀 交わりの儀②―主の祈りの副文
ミサの 「主の祈り」 に続いて、司祭はこう祈ります。 「いつくしみ深い父よ、すべての悪からわたしたちを救い、世界に平和をお与えください」。 ここで願われる平和とは、単に争いがない状態ではなく、罪と苦悩から解放され、神への信頼のうちに生きる心の平和です。神の掟は、私たちを幸福へ導く道です。しかし我欲、高慢、嫉妬、色欲、貪欲に支配されると、心は落ち着きを失います。より多くの富や評価、快楽を求めながら、今あるものを失うことを恐れ続けるからです。 キリスト者もまた、仕事、小教区、家族、将来、経済状態、人からの評価などに不安を覚えます。責任を果たすことは必要ですが、心配が心全体を支配し、平和を奪うならば、それは神への信頼が弱まっているしるしです。 そこで司祭は、私たちを不安から解放し、キリストが与える深い平和を味わわせてくださるよう祈ります。そして、この世の試練の中でも、「救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望む」 という希望へと私たちを導きます。 これに対して会衆は、「国と力と栄光は、永遠にあなたのもの」 と答えます。この言葉は、イエスが教え
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