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2026年8・9月号 巻頭言
『 平和を実現する人は幸い(マタ5:9) 』 主任司祭 使徒ヨハネ 田中 昇 いつも夏になると、皆が 「平和、平和」 と言い始める。戦争反対、憲法九条、核兵器廃絶。さまざまな主張が飛び交うが、冷静に聞いていると、それぞれの言う平和が、どこか腑に落ちないことばかりだ。人間は立場も利害も正義も違う。平和という言葉は、政治や思想によって色づけられ、自分の立場を正当化する便利な標語にもなり得る。 しかし、私たちにはみことばがある。聖書で平和を表すヘブライ語の 「シャローム」、ギリシア語の 「エイレネー」は、単に戦争や争いがない状態を意味しない。壊れた関係が回復され、欠けていたものが満たされ、神と人、人と人との間に正しい秩序と調和が取り戻された、完全で健全な状態を指す。たとえ困難のただ中にあっても、神の義と慈しみが満ちている時、聖書は平和という言葉を使っている。 イエスは 「平和を実現する人々
2026年6・7月号 巻頭言
『 信徒使徒職を考え直すとき 』 主任司祭 使徒ヨハネ 田中 昇 今からちょうど60年前、第二バチカン公会議は、信徒の使命を、司祭や修道者の手伝いとしてではなく、洗礼によって与えられた大切な固有の召命として示しました。信徒は、教会の中だけでなく、家庭、職場、学校、地域社会の中で、キリストを証しするよう招かれています。 日本の教会は、社会の中では小さな群れです。データ上のカトリック信者数は対人口比率で0.3%と非常に小さく(外国籍信徒を含めると0.7%と推計されています)、司祭や修道者も年々減少しています。そのため小教区の歩みは、信徒の皆さんの力なしには成り立ちません。典礼奉仕、信仰教育、福祉活動、宣教広報、財務会計、施設の維持管理、行事の企画準備など、多くの働きが信徒の力によって支えられています。これは単なる 「人手不足の穴埋め」 ではありません。教会を共に担う信徒自身の尊い使命です。 しかし、信徒使徒職の中
2026年4・5月号 巻頭言
『 復活祭に寄せて 』 使徒ヨハネ 田中 昇 復活祭は、十字架にかけられて死なれた主イエス・キリストが、父なる神の力によって復活 されたことを祝う、教会の典礼年の頂点です。この出来事は、キリスト者の信仰の中心であり、すべての希望の源です。 今日の福音で弟子たちが最初に見たのは、復活した主のお姿そのものではなく、取りのけられた石、空になった墓、そして残された亜麻布でした。その中で、主に愛された弟子だけが 「見て、信じた」 と記されています。 ここに、私たちの信仰の姿があります。私たちもまた、復活した主を直接この目で見るのではなく、信仰の目によって主が生きておられることを知り、受け入れるのです。 復活とは、単なる過去の奇跡ではありません。死が人間にとって最後の現実ではなく、罪と死と絶望が最終的な力ではないことを示す出来事です。キリストの復活によって、神は私たちに新しい命への道を開いてくださいました。ですから復活祭は、ただ 「主は復活された」 と祝うだけの日ではなく、私たち自身が復活の希望のうちに生きるよう招かれる日です。古い罪の自
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