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2026年4・5月号 巻頭言

  • 4月12日
  • 読了時間: 2分

『 復活祭に寄せて 』


使徒ヨハネ 田中 昇

 

 

復活祭は、十字架にかけられて死なれた主イエス・キリストが、父なる神の力によって復活 

されたことを祝う、教会の典礼年の頂点です。この出来事は、キリスト者の信仰の中心であり、すべての希望の源です。

 

今日の福音で弟子たちが最初に見たのは、復活した主のお姿そのものではなく、取りのけられた石、空になった墓、そして残された亜麻布でした。その中で、主に愛された弟子だけが 「見て、信じた」 と記されています。 

ここに、私たちの信仰の姿があります。私たちもまた、復活した主を直接この目で見るのではなく、信仰の目によって主が生きておられることを知り、受け入れるのです。

 

復活とは、単なる過去の奇跡ではありません。死が人間にとって最後の現実ではなく、罪と死と絶望が最終的な力ではないことを示す出来事です。キリストの復活によって、神は私たちに新しい命への道を開いてくださいました。ですから復活祭は、ただ 「主は復活された」 と祝うだけの日ではなく、私たち自身が復活の希望のうちに生きるよう招かれる日です。古い罪の自分に死に、キリストの命によって新たにされることを喜ぶ日なのです。

 

復活の主に結ばれて生きるとは、恐れより信頼を、絶望より希望を、冷たさより愛を、偽りより真実を選んで生きることです。もし復活の主と出会っていないなら、人はなお不安や傲慢、争い、冷酷さの中に閉じこもったままかもしれません。しかし、キリストを信仰の目で見て信じた人のうちには、平和、誠実さ、理解、敬意、調和、 

そして希望の喜びが広がっていきます。

 

復活の知らせは、今日の世界にも必要です。世界の平和も、社会の平和も、 家庭の平和も、結局は私たち一人ひとりが復活の主に結ばれて生きることから 始まります。主が私たちの心の石を取りのけ、自分の罪や絶望の墓から立ち 上がらせてくださるよう願いながら、この復活の大きな喜びの中を共に歩んで いきましょう。 

 

 
 
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