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2026年7月19日 年間第16主日
A年 年間第16主日、 みことばのメッセージ 皆さん、今日のみことばは、私たちに「忍耐」を教えています。 けれども、この忍耐は、ただ我慢することではありません。何もしないで黙っていることでもありません。今日のみことばが語る忍耐は、神を信頼する力です。そして、愛の中核にあるものです。聖カタリナは、「忍耐は愛の核心である」と言いました。これはとても深い言葉です。なぜなら、愛するということは、相手をすぐに裁かないこと、すぐに見捨てないこと、すぐに結果を求めないことだからです。愛は待つことができます。愛は信じることができます。愛は希望することができます。 今日の福音で、イエスは三つのたとえを語られます。毒麦のたとえ、からし種のたとえ、そしてパン種のたとえです。どれも、神の国がどのように成長するかを教えています。 まず、毒麦のたとえです。ある人が自分の畑に良い種をまきました。ところが、人々が眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいていきます。やがて芽が出て実を結び始めると、良い麦と毒麦が一緒に生えていることが分かります。 僕たちは主人に言います。「ご主人
2026年7月12日 年間第15主日
年間第15主日 説教案 今日の福音は、マタイ福音書13章の「種をまく人」のたとえです。この13章の「たとえによる説教」は、「山上の説教」、「宣教についての説教」に続く、マタイ福音書全体を支える大きな柱の一つです。 マタイはこの箇所を、よく考えられた構成でまとめています。まず「種をまく人」のたとえがあり、次に、なぜイエスがたとえで語られるのかが説明され、さらにそのたとえの解釈が続きます。その後、「毒麦のたとえ」においても、同じように、たとえ、たとえの目的、たとえの説明が続きます。 今日、特に大切なのは、イエスがなぜたとえで語られるのかという点です。イエスは預言者イザヤの言葉を引用されます。「あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。」 これは、神が人々にわざと分からないようにしている、という意味ではありません。問題は、聞く側の心にあります。たとえが群衆には不明瞭なまま残るのは、彼らに神の言葉を受け入れる備え、頭と心の柔らかさ、心と良心の開きが欠けているからです。 だから今日の福音で中心となるのは、「聞いて理解する」
2026年7月5日 年間第14主日
A年 年間第十四主日 みことばのメッセージ 今日の福音で、イエスは父に向かってこう祈られます。 「父よ、天地の主よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを知恵ある者や賢い者には隠し、小さな者たちにお示しになりました。」 この言葉は、私たちに大切なことを教えています。神の神秘は、複雑な理屈を積み重ねた人、自分の知識や正しさに閉じこもる人にではなく、小さな者、単純な者、へりくだった者に示されるということです。 私たちは、すべてを大きく、特別に、立派に、自分こそ正しいものとして見せようとする時代に生きています。普通であること、単純で全てのことに敬意を持つ謙遜さが、まるで価値のないことのように扱われることがあります。しかし、信仰において本当に大切なのは、複雑で難しい議論を展開することではありません。むしろ、本質へ戻ること、無垢な簡素さです。 単純な人とは、何も考えない人ではありません。浅はかな人でもありません。単純な人とは、多くの複雑なものの中から、本当に大切なものを見分ける純粋な眼差しをもつ人です。余計な飾りやこだわりを捨てて、神の前で本質に
2026年6月28日 年間第13主日
年間第13主日 みことばのメッセージ 今日のみことばは、私たちに問いかけます。 あなたは、何をいちばん大切にして生きていますか。 福音の中で、イエスは言われます。 「父や母をわたしよりも愛する者は、わたしにふさわしくない。息子や娘をわたしよりも愛する者も、わたしにふさわしくない。」 これは、家族への愛を否定する言葉ではありません。父母を敬い、家族を愛することは、聖書が大切に教えていることです。しかしイエスは、すべての愛の中心にキリストを置きなさい、と言われます。 キリストは、ほかの大切なものと並ぶ一つの価値ではありません。キリストは、すべての価値を照らし、清め、正しく整える中心です。だから、キリストを第一にする人は、家族を粗末にする人ではなく、むしろ家族をより深く、より自由に愛することができる人です。 イエスはさらに言われます。 「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。」 十字架を担うとは、苦しみを好むことではありません。福音に忠実に生きようとするときに避けられない重さを、逃げずに担うことです。 正直に生きること。 人
2026年6月21日 年間第12主日
年間第十二主日 聖書のメッセージ 今日の三つの朗読には、共通する一つの流れがあります。それは、闇の中に光が差し込み、苦しみの中に希望が与えられ、恐れの中で神への信頼へと招かれる、という流れです。 今日の福音で、イエスは三度「恐れてはならない」と言われます。 「人々を恐れてはならない。」 「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」 「だから、恐れるな。」 この言葉は、多くの殉教者たちを支えてきました。殉教者とは、ただ死を恐れなかった人ではありません。彼らも苦しみや恐れを知っていました。しかし彼らは、体を奪われても、魂までは奪われないことを知っていました。本当に魂を殺すものは、迫害ではなく、罪であり、神を拒むことです。 第一朗読の預言者エレミヤも、恐れと孤独の中に置かれていました。彼は、神の言葉を語ったために、人々から理解されず、憎まれ、同郷の人々からも疑われ、親しい人々からも裏切られました。神に従っているのに、なぜこれほど苦しまなければならないのか。彼はその苦しみを深く味わいました。 しかし、その中でエレミヤは告白します。...
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