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4.いつくしみの讃歌―キリエ

  • 7月26日
  • 読了時間: 2分

 典礼で唱えられる三重のあわれみの祈り 「主よいつくしみを(キリエ・エレイソン)」 は、回心の祈りで自らの罪を三度認める行為(mea culpa, mea culpa, mea maxima culpa)と呼応しており、さらに後に歌われる 「聖なるかな・サンクトゥス」 や 「神の子羊・アニュスデイ」 の三重の祈りとも対応しています。信者はこの祈りを通して、天使と聖人が永遠に神の聖性を讃える天上の礼拝に加わり、神の臨在に近づく典礼の中で、畏れとへりくだりをもって神のいつくしみと救いを求めます。

 この祈りは、キリスト者の生き方の基本姿勢です。福音書には、自分自身のためだけでなく、愛する者のために神のあわれみを求めてイエスのもとに来た人々が描かれています。カナンの女が娘のために叫び、父親がてんかんの息子のために訴えたように、私たちもミサでキリエを唱えるとき、大切な人々を神に委ねて祈ることができます。職を失った友人、病の隣人、信仰から離れた家族など、誰のためにも祈ることが許されています。

この祈りがギリシア語のまま残されているのは、教会の起源への敬意と伝統の継承によるものです。典礼で用いられるヘブライ語・ギリシア語・ラテン語の三つの古典語は、キリストの十字架に記された言語にも対応しています。また聖人たちは、ギリシア語を残す理由を、教会が最初にユダヤの地からギリシア人を通して信仰を受け取った歴史の記憶として説明しています。

 聖書のいう 「いつくしみ」 とは、単なる上下関係の赦しではなく、罪人の心に生まれた悔い改めの望みを神が見て喜び抱きしめる愛の働きです。詩編51のダビデの歌は、自らの罪深さを率直に認め、砕かれた心を神に捧げましたが、神はそのような真実の悔い改めを決して退けません。放蕩息子の父が息子の変化を喜んで迎え入れたように、神は罪人であっても深く愛し、その回心の願いを喜んで受け入れます。

 「主よ、いつくしみを」 という祈りは、4世紀から典礼で繰り返され、福音書でイエスに助けを求めた盲人や病者たちの叫びを受け継いでいます。私たちは、自らの苦しみや試練、霊的な暗闇や弱さを抱えながらミサに集い、この祈りを通してイエスのもとに来た無数の人々の群れに加わります。そして彼らと同じように、この世の力ではなく神の力と平安にこそ信頼して祈り求めるのです。

 
 
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