18.奉献文②―叙唱
- 7月27日
- 読了時間: 3分
奉献文の叙唱は、ミサの中心 「感謝の祭儀」 へ入る大切な入口です。
司祭と会衆の三つの対句― 「主はみなさんとともに」 「心をこめて(心を上に)」 「(私たちの主に)賛美と感謝を捧げましょう」 ―によって、共同体全体は、これから行われる聖なる神秘に心を整えます。
これは単なる形式的な挨拶ではなく、少なくとも3世紀以来、教会が受け継いできた古い典礼の形です。 第一の対句 「主はみなさんとともに」 は、奉献文というミサの最も神聖な部分を始める前に、司祭と会衆がともに主の現存と助けを必要としていることを示しています。
この挨拶は、聖書において重大な使命を受けた人々に向けられた言葉 「主はあなたとともにおられる」 でもあります。ミサにおいても司祭だけが神秘に入るのではありません。会衆全体がキリストの生贄に与るため主の恵みを必要としている主体なのです。
第二の対句 「心を込めて=心を上に Sursum corda 」 は、信者全てに対して、日常の心配、雑念、地上の関心から離れ、心を神へ向けるように促す言葉です。聖書では 「心」 は単なる感情ではなく、人間の思い、意志、行動の中心を意味します。したがって 「心を上に」 とは、気分を高めることではなく、自分の全存在を神へ向けることを意味します。
パウロが 「上にあるものを求めなさい」 と語るように、信者は奉献文の中で、キリストのおられる天上へと招かれていきます。教父、聖チプリアヌスはこれを、世俗の思いを退け、祈りに全身全霊を集中させるための呼びかけであると説明しています。
エルサレムのチリロも、信者が地上の心配に心を落とすことなく、神へ心を高く上げるべきだと教えています。つまり、叙唱のこの部分は、信者の内的態度を整えるための非常に強い呼びかけなのです。古来、奉献文を意味する 「アナフォラ」 という言葉が、そもそも 「上に向かう祈り」 の意味があるので、私たちは感謝の典礼において今まさに神の国の経験に与ろうとしているのです。
◇
奉献文の叙唱の出だしの対話句の3番目について考えてみましょう。
第三の対句 「神(私たちの主なる神)に感謝をささげましょう/それは尊く大切な務め(相応しいことです)」は、聖体祭儀の本質を明らかにしています。
聖体を意味する 「エウカリスチア」は、本来 「感謝」 を意味する語です。したがってミサとは、神の創造、救い、キリストの死と復活、そして聖体における主の現存に対して、教会全体が感謝を捧げる行為です。
司祭が 「感謝をささげましょう」 と招くとき、会衆は 「それは真に自分たちにとって相応しい」 だと応え、感謝の祈りに同意し、参加します。この感謝は、旧約聖書に深く根ざしています。
詩編では、神の創造のみ業、日々の糧、困難からの救い、敵からの解放に対して、神の民が感謝をささげます。叙唱もこれと同じ構造を持っています。救いの歴史の中で神がなさったみ業を思い起こし、それに対して感謝するのです。
典礼季節によって、降誕、受難、復活など、キリストの救いのみ業のさまざまな側面が強調されますが、中心にあるのは常に、キリストの死と復活による救いです。また叙唱は司祭だけの祈りではありません。
感謝を捧げるのは司祭だけではなく会衆全体です。司祭は共同体を代表して祈りますが、その祈りは、会衆が 「それは尊い大切な務め=正しいことです」 と応答した上で捧げられます。ここに、ミサが司祭の個人的行為ではなく教会全体の公的な礼拝であることが表れています。
このように叙唱は、奉献文の単なる前置きではなく、主の現存を確認し、信者の心を神へ向け、救いの歴史を思い起こし、キリストの救いに感謝するための典礼的・神学的な準備です。
叙唱によって、教会は地上の集まりでありながら、天上の礼拝に参与し、感謝のうちに聖体の神秘へと入っていくのです。
