11. 説教(ホミリア)について
- 7月27日
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更新日:1 日前
典礼における説教は、みことばの朗読に続いてその意味を解き明かし、信者がそれを生活に生かす道を示す重要な教会の宣教的な任務です。
この実践は教会の初期から存在し、主日の典礼では司教が説教を担うことが一般的でした。しかし聖書朗読の後に説明をするという習慣自体は、すでに古代ユダヤ教に起源があります。エズラの時代には律法が朗読されるだけでなく、翻訳されその意味が解説され人々が理解できるように導かれていました。またシナゴーグでも同様の慣習があり、イエス自身もナザレの会堂で聖書を朗読し、それを説明しています。
このように説教は、神のことばを理解し、それを具体的な生活へ適用するための不可欠な手段として受け継がれてきた信仰の営みです。第二バチカン公会議も、説教は信仰教育の中で特別な位置を占めるべきものであり、秘跡を受けるための最良の準備となると教えています。説教は単なる解説や知識の伝達ではなく、信仰を生きるように信者を導く働きを持つからです。説教を行うことができるのは、叙階された聖職者、すなわち助祭、司祭、司教に限られています。
東方教会では助祭は伝統的に説教をしません。これは説教が典礼の一部であり、教会の使徒的権威に基づいて神のみことばの意図を責任をもって忠実に伝える奉仕とされているからです。典礼における福音朗読が聖職者に限定されているのも同じ理由です。ただし信徒や修道者が優れた知識や経験を持つ場合、それらは説教と区別され教話など別の形、機会に分かち合われます。
聖パウロが語るように、説教者は自分自身やこの世の思想ではなくキリストを宣べ伝えるよう招かれています。聖ラウレンチオが「説教は使徒の仕事、天使の仕事、キリストの仕事、神の仕事である」と述べたように、神のみことばは信仰・希望・愛をはじめとするあらゆる善の源であり、これを受け入れることによって人の生活そのものが変えられていくことが求められています。もしミサに与りながら神が語られたことを忘れ、生活に何の変化ももたらさないなら、その時間は無駄であり、典礼の実りは十分に受け取られてはいないと言わざるを得ません。ミサの目的は、神の御心を知り、それを生きる者へと信仰者を導くことであり、説教はそのために不可欠な奉仕なのです。
