29. 感謝の祭儀 交わりの儀⑤―聖体拝領「キリストとの一致」
みなさんは、ミサを 「婚宴」 だと考えたことがあるでしょうか。
ミサについて私たちは、「典礼」 「交わり」 「キリストの現存」 「いけにえ」 といった言葉を思い浮かべます。
しかし教会は古くから、聖体拝領を、花婿であるキリストと花嫁である教会との親密な一致として理解してきました。
ヨハネの黙示録19章では、天の大群衆が 「ハレルヤ」 と神を賛美し、「小羊の婚宴の日が来て、花嫁は支度を整えた」 と歌います。そして天使は、「小羊の婚礼の晩餐に招かれている者は幸いだ」(黙19・9)と宣言します。この 「小羊」 とは、世の罪を取り除くためにご自身をささげられたキリストであり、「花嫁」 とは教会です。
したがって小羊の婚宴とは、キリストと教会とが完全に結ばれる終末の喜びを表しています。この黙示録の言葉は、そのままミサの中に響いています。聖体拝領の直前、司祭は 「神の小羊の食卓に招かれた人は幸い」 と告げます。これは黙示録19章9節の 「小羊の婚礼の晩餐」 への招きを、今ここで私たちに告げているのです。
つまり、ミサと天上の婚宴とは別々のものではありません。ミサにおいて教会は、将来完成する小羊の婚宴にすでに参与しています。祭壇に現存するキリストは、黙示録に描かれた小羊その方であり、聖体を受ける教会はその花嫁です。私たちは聖体拝領によって、花婿キリストからその御体を受け、キリストと一つに結ばれます。
したがってミサとは、単に最後の晩餐を思い出す儀式ではありません。それは十字架のいけにえを現在化すると同時に、終末に完成する 「小羊の婚宴」 をこの地上ですでに先取りして祝う典礼なのです。
聖体拝領へ進むとき、私たちは単なる婚宴の客ではありません。教会の一員として、花婿キリストとの永遠の一致へと招かれた花嫁なのです。
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聖体拝領は、ラテン語で「コムニオ(communio)」と呼ばれます。
それは 「交わり」 「一致」 を意味し、聖体において私たちがキリストの命と一つに結ばれることを表しています。この聖体拝領は、婚姻のイメージによって理解することができます。夫と妻が互いに自分自身を与え合い、親密に一つとなるように、神なる花婿キリストも、聖体祭儀において御自分の体と血を私たちに与え、この地上で可能な最も親密な仕方で私たちと一つになってくださいます。
だからこそ、ミサは 「婚宴」 とも呼ぶことができるのです。この意味で、聖体拝領後の感謝の祈りはとても大切です。キリストを迎え、しばらく主とともにとどまり、その愛に感謝する時間を持ちます。聖体拝領は単に御聖体を 「受け取る」 ことではなく、愛する方との交わりに入り、その方のうちに憩うことなのです。そしてキリストとのこの一致は、同じキリストの命にあずかる信仰者同士をも一つにしていきます。
しかし、罪ある私たちは、完全に聖なる神を迎えるにふさわしい者なのでしょうか。そこで聖体拝領の直前、私たちはこう祈ります。「主よ、わたしはあなたをお迎えするにふさわしい者ではありません。おことばをいただくだけで救われます。」
これは、百人隊長がイエスに語った言葉に由来します。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」(マタ8:8)。百人隊長は、自分のふさわしくなさを認めながら、それ以上にイエスの力を信頼しました。
私たちも同じです。自分の弱さや罪を知りながら、それでも主の憐れみと癒しを信頼して聖体に近づきます。するとキリストは、私たちの心の最も親密な客人となり、御自分の命によって私たちを癒し、御自分との一致へと導いてくださるのです。
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教皇ヨハネ・パウロ二世は、晩年の回勅 『教会にいのちを与える聖体 ECCLESIA DE EUCHARISTIA』 の中で、聖母マリアと聖体拝領との間に深い結びつきを示されました。
受胎告知において、マリアは信仰をもって神の御言葉を受け入れ、その胎内にキリストの体と血を迎えました。この意味で、マリアはすでに 「聖体的な信仰」 に生きていたと言えます。
私たちが聖体を受けるときにも、マリアがイエスをその身に迎えたことに通じる神秘が起こります。マリアは最後の晩餐には同席していませんでしたが、後に使徒たちから 「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである」 というイエスの言葉を聞いたことでしょう。
その御体・聖体は、かつて自らの胎内に宿し、育んだ御子の御体そのものでした。
教皇ヨハネ・パウロ二世は、マリアにとって聖体拝領とは、かつて胎内に宿したイエスを再び自分の内に迎えるような体験であったのではないか、と述べています。そこには母としての深い愛と、御子との新たな一致の喜びがあったことでしょう。
私たちも聖体を受けるとき、マリアを模範としたいものです。マリアが愛と信仰をもってイエスを迎えたように、私たちもキリストを心の中心に迎え、私たちの心が少しずつキリストの心と一致していくよう祈ります。
そして聖体拝領後には、いただいた恵みが私たちの日々の生活の中で実を結ぶよう拝領祈願において祈るのです。
