top of page

28. 感謝の祭儀 交わりの儀④―平和の賛歌(Agnus Dei)

9月25日
読了時間: 3分

 聖体拝領の直前には、パンを裂くこと、御体と御血の混合、「神の小羊」 の唱和という三つの儀式があります。

 まず司祭が聖体となったパンを裂く 「パンを裂くこと」 です。これはもともとユダヤ人の食事において、家長がパンを取り、祝福し、裂いて人々に分け与える行為でした。イエスも福音書の中で、パンの増加の奇跡、最後の晩餐、エマオの弟子たちとの食事においてパンを裂いておられます。

 とりわけ福音書は 「パンを取る、賛美の祈りを唱える、裂く、与える」 という一連の動作を、パンの増加と最後の晩餐の双方に用いています。パンの増加が多くの人を養ったように、聖体においてキリストは、御自身を「命のパン」 として、あらゆる時代の人々に与えてくださるのです。

 このため初代教会では、聖体祭儀そのものが 「パンを裂くこと」 と呼ばれました。使徒言行録は、キリスト者たちが日曜日に集まり、「パンを裂いていた」 と伝えています。またパウロは、「パンは一つだから、私たちは大勢でも一つの体である」 と述べ、同じパンを分かち合うことの中に、キリストに結ばれた教会の一致を見ています。

 したがってミサでパンが裂かれるとき、私たちは、旧約の食卓からイエス、使徒たち、初代教会へと続く長い信仰の伝統に結ばれています。

 次に、司祭は裂いたホスチアの一片をカリスに入れ、「主イエス・キリストの御からだと御血によって、わたしたちが永遠のいのちに導かれますように」 と祈ります。これは 「混合(commixtio)」 と呼ばれます。古代ローマでは、教皇が聖別されたパンの一片を各教会に送り、司祭がそれをカリスに入れることで、ローマの司教との教会的一致を表しました。

 また後代には、パンとぶどう酒が別々に聖別されることをキリストの死における御体と御血の分離、両者の混合を復活における再結合の象徴と解釈する伝統も生まれました。このように、これらの儀式は単なる準備動作ではなく、キリストの自己奉献、復活、そしてキリストにおける教会の一致を目に見える形で表すしるしなのです。

◇

 司祭が聖別されたホスチアを裂く間、会衆は 「世の罪を取り除く神の小羊、いつくしみをわたしたちに」 と二度唱え、最後に 「平和をわたしたちに」 と願います。

 この祈りは、黙示録に描かれている 「屠られた小羊」 を礼拝する天上の典礼に、私たちを結びつける祈りです。

 新約聖書は、イエスを私たちのためにささげられた新しい過越の小羊として示しています。パウロはキリストを 「私たちの過越の小羊」(1コリ5・7) と呼び、ヨハネ福音書も、十字架上で用いられたヒソプや、イエスの骨が折られなかったことを記すことによって、出エジプトの過越の小羊とのつながりを示しています。

 「神の小羊」 という呼び名は、とりわけ洗礼者ヨハネのイエスに向けられた 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハ1・29) という言葉に由来します。この言葉には、過越の小羊だけでなく、イザヤ53章に描かれる 「屠り場に引かれる小羊」 のように、イエスを罪の償いとしてささげる 「苦しむ僕」 の姿も重ねられています。したがって、ミサの中でホスチアが裂かれるとき、私たちは十字架上でご自分をささげ、世の罪を取り除かれたキリストを仰いでいるのです。

 Agnus Deiが三度繰り返される中で、私たちは罪から解放することのできる唯一の方に、まず 「いつくしみ」 を願い、最後に 「平和・平安」 を願います。この平和への願いは、直前に交わされた平和のしるしとも結びつき、続く聖体拝領によってさらに深められていきます。

 このように 「神の小羊」 は、キリストの十字架のいけにえを信仰のうちに告白し、そのいつくしみと平和を願いながら、聖体拝領へと心を整える祈りなのです。

 
 
bottom of page