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27. 感謝の祭儀 交わりの儀③―平和の挨拶

9月25日
読了時間: 3分

 聖体拝領の前に司祭は次のように祈ります。

 「主イエス・キリスト、あなたは使徒に仰せになりました。『わたしは平和を残し、わたしの平和をあなたがたに与える。』 主よ、わたしたちの罪ではなく、教会の信仰を顧み、おことばのとおり教会に平和と一致をお与えください。」

 最後の晩餐でイエスが約束したことを思い起こす必要があります。イエスが与える平和は 「世が与えるような」 平和ではありません。

 健康、仕事、財産、周囲の評価など、外的な条件に依存する平和は、状況が変われば失われてしまいます。しかしイエスの平和は試練や苦しみのただ中においても失われない、深い内的、霊的な平和です。イエスを人生の土台とし、信仰、希望、愛に生きるとき、私たちは困難に耐える力と喜びを与えられます。

 この平和こそが、家庭、共同体、小教区、さらには社会の中に真の一致を築くものです。司祭は、個人の心の安定だけでなく、教会全体の平和と一致を願っているのです。この平和は、信者個人の功ではなく 「教会の信仰」 そのものに基づいて与えられることを式文は明言しています。 このことは、イエスの約束された恵みとは、個人の信仰の強弱で計られるようなものではないことを意味しています。

 続いて司祭は、「主の平和がいつも皆さんとともに」 と会衆に呼びかけます。これは単なる挨拶ではありません。復活したイエスが、恐れのため戸を閉ざしていた弟子たちに、「あなたがたに平和があるように」 と語られた言葉に由来します。弟子たちは主を見て喜びました。

 ミサにおいても復活のキリストは司祭を通して、私たちに平和と喜びを与えておられるのです。

◇

 司祭は会衆に向かって、「主の平和がいつもあなたがたとともに」 と呼びかけます。この言葉は、パウロ書簡に見られる使徒的挨拶であると同時に、復活したイエスが、恐れのため戸に鍵をかけていた弟子たちに語られた 「あなたがたに平和があるように」 (ヨハ20・19)という言葉に根ざしています。

 弟子たちは復活の主と出会い、その平和を受けて喜びました。同じ復活のキリストが、ミサにおいても司祭を通して、私たちにご自分の平和を与えようとしておられるのです。新しい日本語式文では、この祈りの結びに 「あなたはまことのいのち、全てを導かれる神、世々とこしえに」 という言葉が加えられました。

 ラテン語原文では、もともと 「あなたは世々に生き、支配しておられます」 と結ばれていることから、平和の主は復活して今も生きておられるその主への賛美の言葉で祈願が結ばれていると言えます。

 続いて司祭は、「互いに平和のあいさつを交わしましょう」 と招きます。これは単なる社交的な挨拶ではありません。主からいただいた平和(シャローム)と、救われた者としての喜びを互いに分かち合うしるしです。その起源は初代教会にまで遡ります。

 パウロやペトロは、「聖なる口づけをもって互いに挨拶を交わしなさい」(ロマ16・16ほか)と勧め、2世紀には殉教者ユスティノスも典礼の中でこの実践を証言しています。今日、その具体的な所作は、握手、抱擁、お辞儀など文化によって異なります。しかし大切なのは、その形ではなく意味と心です。平和のあいさつは、主の祈りと聖体拝領とを結びつける儀式であり、私たちが別々の個人ではなく、「天におられる私たちの父よ」 と祈る一つの神の家族であることを表します。

 そして、これから同じキリストの体をいただく者として、すでに主の平和のうちに互いに結ばれている一致と喜びを、目に見えるしるしとして表現しているのです。

 
 
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