2026年4月19日復活節第3主日
- 4月20日
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更新日:7 日前
復活節A年第三主日「主は生き方を変えてくださる」
今日の第一朗読のペトロの宣言にある通り、教会とはまさに復活された主によって集められ、生かされている共同体です。第二朗読では、その復活の主によって、わたしたちが空しい生き方から救い出されたことが語られます。キリストの尊い血によって贖われ、信仰と希望とを神に向けて生きる者とされた。つまり、復活祭はただイエスに起こった出来事ではありません。わたしたち自身の生き方を変える出来事なのです。復活の主によって生き方を変えられる、それが教会の原点であることが示されています。これが今日のテーマです。
今日の福音には、二つの旅の歩みが出てきます。一つは、エルサレムからエマオへ向かう旅。もう一つは、エマオからエルサレムへ戻る旅です。クレオパとその仲間は、この二つの道のあいだで変えられました。これは、そのまま、わたしたち自身の信仰の姿でもあります。二人の弟子は、失望し、悲しみ、重い足取りで歩いていました。彼らはイエスに望みをかけていた。しかし十字架を見て、その希望は崩れたと思ったのです。だから彼らは、エルサレムから離れていきました。これは、信仰を失いかけた人間の姿そのものです。けれども、その二人に、復活の主ご自身が近づいて来られました。二人は気づきませんでしたが、主はすでに彼らと共に歩いておられたのです。ここに大きな慰めがあります。わたしたちが落胆しているときも、信仰が弱っているときも、主のほうが先に近づいてくださいます。
そして主はまず、みことばによって二人の心を開かれました。モーセと預言者から始めて、聖書全体にわたって、ご自分について説明されたのです。そのとき二人はあとでこう言いました。「道で話しておられるとき、わたしたちの心は燃えていたではないか。」そうです。復活の主は、まずみことばによって、冷えた心をあたためてくださるのです。信仰は、神のことばを聞くことから生き始めます。さらに主は、パンを裂くことの中でご自分を現されました。パンを取り、祝福し、裂いて渡されたとき、二人の目が開かれました。
ここに、ことばの典礼と感謝典礼のつながりがあります。主は、みことばと聖体のうちに、ご自身を現してくださるのです。そしてこれは、まさに毎週のミサの中で、わたしたちが体験していることでもあります。主に出会った二人は、もうそのままではいられませんでした。すぐに立ち上がり、エルサレムへ戻って、仲間たちに告げました。悲しみは喜びに変わり、失望は証しへと変えられたのです。これが教会の姿です。教会は、悲しみのうちにうつむいて立ち止まる群れではありません。復活の主に出会い、立ち上がり、語り始める群れです。
今日も、私たちにとっても、復活の主は、今日も教会の中におられます。みことばの中で語り、聖体の中でご自身を与えてくださいます。ですから、心を閉ざさず、主に開きましょう。そうすれば、わたしたちの心も燃やされ、目も開かれ、歩む方向も変えられていきます。そしてわたしたちもまた、ペトロやエマオの弟子たちのように、復活の主との出会いによって変えられるように招かれています。私たちは心から「主は本当に復活された。私たちの生き方を変えてくださった」言葉と生活の証しによって表明できる真のキリストの弟子であるよう招かれているのです。
