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2025年8・9月号 巻頭言

 

                       『  平和を造り出す 

 

                           主任司祭 使徒ヨハネ 田中 昇

 

  太平洋戦争の終戦記念日の8月15日を中心にしたこの季節、戦争と平和について考え

 させるプログラムが各方面で企画されています。教会の聖職者という立場上、個人的、政

 治的な考えを出して、こうあるべき、これが正しい、これが間違い、こういうことをすべきだなど

 と主張することは誠に不適切であるため意見を述べるつもりはありません。

 

 第二バチカン公会議の教えを見ると、現代世界憲章において 「平和とは単に戦争のない状態を指すのではなく、正義の業果として人間の努力によって築き上げられるものである」(78項)と述べられており、平和とは正しく生きる者によって構築されるものとされています。そして平和は、単に戦争云々の問題に限らず、我々の日常の生き方に関わっている重要な要素でもあります。

 

 イエスは、「平和を造り出す者たちは幸いだ。彼らこそ、神の子らと呼ばれるだろうから」(マタイ5:9)と述べています。もし私たちがイエスの弟子だというのなら、私たちが平和を努力して作り出す存在でなければならないのです。それが神の民のミッションなのです。 

 

聖書の「平和」は、復活したイエスが最初に弟子たちに与えた賜物でもありました(ヨハネ20:19)。もともとはシャロームという言葉であったでしょう。シャロームは神の思いが十全に実現されている状態を指します。それがまさに主にとって平和なのです。私たちは、単に外面的に争いがない状態を作るように、問題を直視せずやり過ごしたりして、問題をあえて起こさないようにする消極的な姿勢、仮初の平和が求められているのではなく、真に神の御心にそった生き方を積極的に全うするように求められています。

 

それゆえ、まず私たち一人一人が主の平和を体現するものとなること、私たちの共同体が主の平和を実現するものであることが必要なのです。それこそが真の教会です。教会共同体そのものが、不平不満、差別や偏見、言葉や態度による暴力、利己的な思いや偏向な考え方、無理解や無関心、不賢明さといった愚昧を生きていたら、そこには真の平和など存在しません。そして教会が祝う典礼こそ、この平和を具現する最たる時です。典礼は主の平和のうちに祝われる、平和の主との出会いの場です。その恩恵を真の意味で享受するためには、私たち一人一人が主の平和を生きる清い心が求められます。

 

 世界の平和を祈る私たちが、まず真の平和を理解しこれを生きることができますように。そして私たちの共同体が、多くの人々が神の平和に救いを求めて集う場となりますように。

 

 
 
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