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2025年6・7月号 巻頭言

2025年6月 『参加型の教会へ』  

                      

                                                    田中昇神父 巻頭言


昨年と今年の信者総会でも教会委員さんから説明されたように、豊島教会は、これまで主任司祭や個人的活動に頼っていた以前の教会のあり方から、公会議によって示され継続的に教導権に教えられてきた全員参加型の教会へ向けて組織編成を進めています。これは60年前に閉会した第二バチカン公会議の教えが現行教会法典によって制度化された神の民としての教会の構造、交わりとしての教会の具体化の取り組みといってもいいかもしれません。これが近年では教皇フランシスコによって強調されたシノドス的な教会を目指す動きの原点です。公会議によれば教会の構成員は皆、キリストの福音と教会的な交わりに生きる限り、キリスト者としての基本的な尊厳と行動の平等が保障され、皆が教会における基本的な権利と義務の主体として認識されています。


各自はそれぞれの立場に応じてそれぞれの仕方で、①信仰を深め伝える宣教的任務、②聖なる生き方を追求する秘跡的任務、③共同体と世界に配慮し教会を運営する統治に関する任務という3重の任務をキリストから託されています。私は皆さんにこうしたカトリック教会の本来の信仰の姿を生きる共同体となっていくために、それぞれが何らかの仕方でキリストから託された役務を託されていることを自覚し、できる範囲でキリストの弟子としてその一翼を担っていただきたいと思います。


たとえば秘跡的任務は司祭が個人的に果たせるものではありませんし司牧的な任務も同じです。宣教の任務も司祭や修道者が率先して担うものでもなく教会全体の共同責任なのです。秘跡に与ることで自動的にお恵みを頂けたと思って教会の信者の勤めを果たしたとするような儀式主義あるいは信仰共同体の営みを無視した自己正当化を伴う個人主義は、まさに具体的な教会の営みの希薄化、キリストの福音と信仰生活の乖離、秘跡の空洞化という現象につながります。そうではなく、各人が共同体の中で相互の関係性を深め協力しあいながら、秘跡と教会全体の祈りによってキリストに結ばれ、隣人に配慮するものとなり、みことばと教会の教えに親しみ宣教する弟子になろうではありませんか。司祭任せ、他人任せという生き方はもう辞めて、各自が主体的にキリストの弟子として、教会の一員として共同体において奉仕しよう、信仰を深め伝えよう、共にキリストの教会を作り上げていこうという気概をもって前進していこうではありません。

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