9.対句 ~神のみことば−神に感謝~
- 7月26日
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ラテン語規範版のミサ式次第では、すべての聖書朗読の最後に、朗読奉仕者は 「Verbum Domini=主のみことば」 と宣言します。
日本語の新しい式文では福音書でこの言葉を用い、それ以外の聖書朗読では 「神のみことば」 と言います。それは今朗読されたことばが、他でもない「これこそ神が今、私たちに語られたことば」 なのだという宣言なのです。それゆえ 「神のみことば」 と言う言葉は高らかに告げられるべき驚くべき宣言です。その事実に私たちは畏敬の念をもって心の底から 「Deo gratias=神に感謝」 と答えるのです。神が語りかけるということは実に驚くべきことです。それゆえこれらの言葉は、典礼の場で、付け足しのように小声で言うような対句ではありません。
そもそも神に感謝をささげるとは、歴史の中で神が示された慈しみと驚くべきみ業のゆえに神に感謝の気持ちを表す信仰者の基本的姿勢です。旧約から新約に至るまで神に感謝することは聖書における礼拝の基本・共通点です。
「神に感謝」 という独特なことばは、直接的には、罪と死から解放して下さった神に感謝するためパウロが使った表現です(ロマ7:25; 1コリ15:57他)。ただ聖書全体はキリストによる救いのみ業を証しているため、キリストが十字架の死と復活によって勝利したことに驚きと喜び、そして深い感謝の心でパウロと同じ表現をもって典礼の聖書朗読に応答するのは実にふさわしいことなのです。
パウロは 「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんな時にも感謝しなさい」 (1テサ5:16)と教えています。私たち人間は神に感謝すべきことがたくさんあります。しかし私たちは、感謝するよりも嘆いたり怒ったり呪ったりする方を選びがちです。私たちは、みことばの典礼において神の語りかけを深く受け止め、心から神に賛美と感謝を捧げられるよう、信仰の心を持っていつも用意していようではありませんか。
聖書の朗読の後、私たちは暫し沈黙の時を持ちます。これが、私たちが畏敬の念をもって今しがた私たちに語りかけられた神に感謝の念をもって応答する行為なのです。黙示録において、沈黙は天上の礼拝の一部でした(黙8:1)。そして私たちが、「これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた」 (ルカ2:19) 聖母マリアにならって生きるために、典礼の沈黙は、たった今耳にしたみことばを黙想する時間を私たちに与えるものでもあるのです。こうした沈黙は、典礼上 「聖なる沈黙」 と呼ばれ、祭儀のそれぞれの行為を際立たせるのと同時に、参加者がその意味をより深く味わう大変重要な要素なのです。
