22.奉献文⑥―信仰の神秘mysterium fidei
- 7月27日
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「信仰の神秘」と言う宣言ではいよいよ中心部分に達します。
司祭がパンとぶどう酒の上に聖別のことばを唱えそれらがキリストの御体と御血となったところで司祭は深い敬意を示し、続けて厳かに「信仰の神秘」と宣言します。
この言葉は、もともと公会議前のミサ式次第では、杯について唱えられる聖別のことばの中に含まれていました。しかし、これは最後の晩餐でイエスご自身が語られた言葉ではなく、東方教会の古い典礼伝統にも見られません。そのため第二バチカン公会議後に、秘跡制定句から切り離され現在のように司祭の宣言として位置付けられました。この言葉は単なる「会衆の応答を求める司祭の合図」ではありません。むしろ今まさに祭壇の上で起こっている信仰の神秘に対する、司祭の驚きと畏敬を表しています。
十字架上で私たちの罪のためにささげられたキリストが、今、パンとぶどう酒の形のもとに、まことに現存しておられる。これは人間の理性だけでは捉えきれない、まさに「信仰の神秘」なのです。司祭のこの宣言に応えて、会衆はキリストの死と復活による救いを告げ知らせます。現在のミサでは、会衆の応答として三つの選択肢があります。第一と第二の応答は、聖パウロの「このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」言葉に依拠しています。
つまりミサにおいて私たちは、ただ過去の出来事を思い出しているのではなく、キリストの死と復活を今ここで宣言しているのです。第三の応答はヨハネ福音書に出てくる「この方が本当に世の救い主である」という信仰告白に響き合っています。
キリストは、十字架と復活によって私たちを罪と死から解放してくださる、世の救い主なのです。
