21.奉献文⑤―秘跡制定句
- 7月27日
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「これはあなたがたのために渡される私の体である/
これは……ゆるしとなる新しい永遠の契約の血である。」
この秘跡制定句を理解する鍵は、最後の晩餐が過越の食事です。過越祭では、小羊が犠牲として捧げられ、その血によってイスラエルの民は死から救われました。つまり過越は 「救いの犠牲」 と 「解放の記念」 でした。イエスはその過越の食事の中で普通なら小羊について語られるべきところで、ご自分の体と血について語ります。
つまりイエスは、自分こそが新しい過越の小羊であり、これから十字架上で捧げられる犠牲であることを示しているのです。「あなたがたのために渡される私の体」という言葉は、イエスの死が偶然の悲劇ではなく、人々の救いのために自らを差し出す奉献であることを表します。
また 「罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血」 という言葉は、シナイ山でモーセが語った「契約の血」を思い起こさせます。旧約では動物の血によって神と民との契約が結ばれました。しかし新約では最後の晩餐でイエスご自身の血によって、神と人類との新しい永遠の契約が結ばれます。つまりイエスの血は、単に罪人として流される血ではなく、罪のゆるしをもたらし、神との交わりを回復する契約の血です。
さらに重要なのは、「これを私の記念として行いなさい」という命令です。ここでいう 「記念」 は、単なる思い出ではありません。聖書的・典礼的な意味での記念・アナムネーシスです。これは、過去の救いの出来事を典礼の中で今ここに現在化することを意味します。
したがって、ミサで秘跡制定句がパンと葡萄酒の上に唱えられるとき、教会は最後の晩餐をただ再現しているのではありません。また十字架の犠牲をもう一度繰り返しているのでもありません。そうではなく、十字架上でただ一度捧げられたキリストの犠牲が、秘跡的に今ここで現在化されるのです。
