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16.奉納③―司祭の手の清めと祈り

  • 7月27日
  • 読了時間: 2分

 奉納の終わりの司祭の手の浄めと、「皆さん、ともにささげるこのいけにえを全能の神が受けれて下さるよう祈りましょう…」 という招きの意味を聖書と典礼の伝統に沿って考えてみましょう。

 まず、司祭が手を洗う所作は、旧約の祭司たちの清めの儀式に由来します。幕屋や祭壇に近づく前に手と足を洗ったのは、単なる外面的な清潔のためではなく、神の前に立つための内的な清めを表していました。詩編24編が語るように、「汚れのない手」と「清い心」 は結びついており、神の臨在に近づくには心の清めが必要なのです。ミサにおいて司祭が祭壇の前で手を洗うのも、まさにこの意味を持ちます。司祭はいま、旧約の幕屋や神殿を超える聖なる場に近づこうとしてい  ます。なぜなら祭壇の上で、パンとぶどう酒はキリストの御体と御血となり、神はご自分の民のもとに最も親しい姿で来られるからです。そこで司祭は、「主よ、わたしの汚れを洗い、罪から清めてください」 と祈り、自分もまた神のあわれみを必要とする者として、聖なる務めに備えます。そのため司祭は、続けて「皆さん、ともにささげるこのいけにえを…」 と会衆に呼びかけます。

 ラテン語原文では、「私のいけにえ」と「あなたがたのいけにえ」 が区別されています。「私のいけにえ」 とは、司祭がキリストの代理者として現存させるキリストのいけにえを指し、「あなたがたのいけにえ」 とは、信者が自らの祈り、生活、苦しみ、感謝をキリストに結び合わせてささげることを意味します。大切なのは、この二つが別々なのではなく、ミサの中で一つのいけにえとして御父にささげられることです。司祭はラテン語原文では 「祈りましょう」ではなく 「祈ってください」 と会衆に請い願い、会衆は 「あなたの手を通してお捧げするいけにえを受け入れてくださいますように」 と応答します。

 ここには司祭の奉仕と信者の参与が一つに結ばれていることがよく表れています。教皇ピオ12世も 『メディアトール・デイ』 で、信者は司祭の手を通して、またある意味で司祭とともに、自らも奉献すると教えています。つまりミサは司祭だけの行為ではなく、全教会がキリストとともに自らを御父にささげる行為なのです。司祭の手の浄めも、その後の招きの祈りも、この大きな神秘に教会全体が参与していることを示しています。

 
 
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