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15.奉納②―葡萄酒と水の混合

  • 7月27日
  • 読了時間: 2分

 奉納の際の供物の準備の際に行われるぶどう酒と水の混合は、ミサの中ではあまり注目されない所作の一つかもしれません。しかし実際は非常に深い神学的意味を持っています。

 まず、ぶどう酒に少量の水を加える儀式は、古代世界では日常的な慣習でしたが、教会はそこに象徴的意義を見いだしました。伝統的解釈では、ぶどう酒はキリストの神性、水は私たちの人間性を表します。

 この両者が混ざり合うことは、神の子が人となられた受肉の神秘を示すと同時に、私たち人間がキリストを通して神の命にあずかるよう招かれていることを表しています。司祭が 「この水とぶどう酒の神秘によって…」 と祈るとき、そこには人間が神に結ばれるという救いの神秘が凝縮されています。

 続いて、パンとぶどう酒の奉納の祈りは、ユダヤ教の食卓の祝福(ベラカ)に由来しつつキリスト教的意味を帯びたものとなっています。パンは 「命の糧」、ぶどう酒は 「救いの杯」 (直訳だと、「霊的飲み物」)とされ、神から受けた大地の恵みと人間の労働の実りが、神への感謝のうちに捧げられます。しかしここで重要なのは捧げられるのが単なる物ではないという点です。

 

 司祭が静かに唱える 「心から悔い改める私たちが受け入れられ…」 という祈りは、真に神に捧げられるべきものが、ミサに集う共同体そのものであることを示しています。パンとぶどう酒は、私たち自身の生活、労苦、祈り、悔い改め、そして存在全体を象徴しています。

 この自己奉献の意味は、ダニエル書補遺の 「アザルヤの祈り」 によってさらに深められます。炉に投げ込まれた三人の若者は、自分たち自身が焼き尽くすいけにえのように 「へりくだる霊と悔い改める心をもって神に受け入れられるよう」 願いました。

ミサにおいても、司祭は会衆を代表して、私たち自身が神に喜ばれるいけにえとなるようパンと葡萄酒を捧げた後に、深くお辞儀をしながら同じ言葉で祈っているのです。この意味で奉納とは、単なる供え物の準備ではなく、共同体全体が神に向かって自らを差し出す行為なのです。

 
 
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