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13.共同祈願 (oratio fidelium/oratio universalis)

  • 7月27日
  • 読了時間: 2分

 共同祈願は、「ことばの典礼の頂点をなす大切な祈りです。これはミサの比較的後代の付加ではなく、教会のごく初期から存在していた古い伝統に属します。

 2世紀の殉教者ユスティノスは、聖書朗読と説教の後に、共同体全体が起立し、自分たちのためだけでなく、至るところにいるすべての人のために祈っていたことを証言しています。また、その源はさらに新約聖書にまでさかのぼります。ペトロが投獄されたとき、教会は彼のために熱心に祈り(使12:1-7)、パウロもまた、すべての人、とくに為政者のための執り成しを勧めました(1テモ2:1-4, 1テサ1:2-3, 2コリ1:11)。つまり共同祈願は、初代教会以来、教会共同体が世界のために神の前に立つ祈りとして受け継がれてきたのです。

 この共同祈願の大きな意味は、信者がここで自らの祭司的務めを実行することにあります。『ローマ・ミサ典礼書の総則』(69-70項)が示すように、この祈りにおいて信者は、叙階された奉仕者だけでなく、修道者も信徒も含めて、神の民としての祭司職を具体的に表します。

 キリスト者は、キリストによって「王の祭司」とされており(黙1:5-6, 1ペト2:9)、共同祈願の中で、全人類を代表しつつ神に執り成しをささげます。これは、今も私たちのために執り成しておられるキリストの祈りに参与することでもあります。したがって共同祈願は、単なるお願いの列挙ではなく、教会がキリストとともに世界を神へと差し出す、深い典礼的行為なのです。

 さらに、共同祈願は、ことばの典礼全体の流れの中で理解されるべきです。信者はまず聖書朗読によって神のみことばを聴き、説教によってその意味を深く受け取り、信仰宣言によってそれに応答します。そしてその頂点として、神のみことばによって養われた心をもって、教会と世界の必要のために祈ります。祈りの内容もまた普遍的であるべきで、教会の必要、国や社会を導く人々、苦しみや困難のうちにある人々、地域共同体、そしてすべての人の救いへと広がっていきます(カテキズム2635項)。

 こうして共同祈願は、信者を自分自身の願いだけに閉じこもらせず、「他者のために祈る教会」の姿へと育てる重要な場となるのです。私たちもサンプルの祈願をただ読むのではなく、心を込めて共同祈願を捧げるように心がけましょう。

 
 
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