10.アレルヤ唱と福音朗読
- 7月26日
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第二バチカン公会議は、聖書全体が霊感を受けていることを前提としつつ、とりわけ福音朗読が、受肉したみことばであるキリストの生涯と教えについての最も優れた証言であり、かつキリストが私たちに語りかける現存的理解から、典礼における卓越した瞬間であると教えています。
この神学的理解は、典礼の具体的な所作に反映されています。まず福音朗読の前に会衆が起立するのは、今まさに語られる主を迎える姿勢を示すためであり、ネヘミヤ記において律法の朗読を聞く民が立った姿と通じています。またアレルヤ唱は 「主を賛美せよ」(ハレルヤ)という喜びの叫びであり、詩編や黙示録に見られる天上の賛美に連なるもので、福音において私たちのもとに来られるキリストを歓迎する意味を持ちます(四旬節には詠唱に置き換えられる)。さらに朗読福音書はろうそくや香を伴う行列のうちに朗読台へ運ばれその荘厳さが強調されます。この行列は東方教会では 「小聖入」(キリストの行進)と呼ばれます。朗読者である司祭や助祭は、福音をふさわしく宣べ伝えるために心と口の清めを祈りますが、これはイザヤが預言職に先立って天使から清められた出来事を想起させるものです。
福音朗読の際には福音書と額・口・胸に十字架のしるしを行い、聖書のことばが思い、言葉、心に生きるよう願います。これらの儀式は、福音朗読が単なる過去の追憶ではなく、典礼の中でキリストご自身が現存し、今ここで語られる現実的出来事であることを示します。
教会は、聖書が朗読されるとき神ご自身が民に語られると教えており、福音においては特にその現存が強調されるのです。したがって、みことばを耳にする信者は歴史的出来事の傍観者ではなく、キリストが自分に今日直接語りかけておられることばとして聞くのです。朗読後の 「主のみことば」・「キリストに賛美」 という対話句も、この神的現存への信仰の表明です。最後に、朗読者は 「福音の言葉によって私たちの過ちが消し去られるように」 と祈り、みことばの内容を受け入れることによって回心と新しい生き方へ導かれるよう願います。
こうして福音朗読は、みことばの典礼の中でキリストと出会う中心的瞬間として位置づけられているのです。
